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2015年2月14日土曜日

無数にあるスイッチと、人生の地図


 どうして人は道に迷うんだろう­­――

 南と北を間違えちゃう方向音痴な奴の話じゃなくて。スマホを持たないアナログ人間の話でもなくて。私がしたいのは、人生の話。決して一本道じゃない、複雑に枝分かれしていて歩きづらい、でもだからこそ、それぞれの道には異なる可能性が煌々と光っている、そんな人生の地図の話。

 たとえば、進学。たとえば、就職。たとえば、結婚。

 人は大事な局面でいろんな選択を迫られる。そんな時に必要なのは、一歩を踏み出す力。目の前に示された選択肢を確実に選ぶ力。朝倉かすみの長編小説『地図とスイッチ』の言葉を借りれば、「スイッチは無数にあるんだよ。問題はどれを押すかってこと」だ。

 この小説は、1972年の9月8日に同じ病院で生まれた二人の男、蒲生栄人と仁村拓郎が主人公。それまで自堕落な人生を送ってきた栄人は2013年の現在、インテリアショップの社員として働いている。友人の相野谷が経営するその会社の名前は、「Switch of Life」。そう、さっき引用した、1991年のある夜に相野谷が放った言葉が社名の元に、ひいてはこの物語のテーマになっているのだ。

 一方で、拓郎は現在、東京にある鉄道会社の車掌として日々を過ごしている。拓郎の人生のスイッチが押されたのも、1991年。北海道の高校を卒業し、恋人や友人がこぞって大学へ進学するなかで、「世間に通用する手形」を手にいれるべく、一人、東京での就職を決意する。初めての恋人を北海道へ残し、拓郎は東京に出てくるのだ。自分の押したスイッチを強く信じて。

 物語は、こうして二人の思い出が入れ子式に語られながら進んでいく。二人は一度だけ、偶然の出逢いを果たしている。1980年のことだ。人工池で遊んでいた夏の日の出逢いは、その後も折に触れて回想される。そんなめぐり合いから幾星霜(いくせいそう)。二人はそれぞれのスイッチを、時には力強く押し、時には押すことじたいをためらいながら、生きて行く。

 女性との出会い、別れ、再会、結婚、出産、そして離婚。

 あるいは大学院進学、就職、退職、父親の死。

 文字で書くとこうした無機質な単語の羅列となるけど、その一つ一つにはスイッチを握りしめた二人の葛藤とドラマが宿っている。そして、思い出箱を全て開け終わった今、二人は再びスイッチを、ぎゅっと掴み、目の前の地図に一つの大きな矢印を書き込もうとしているのだ。

 語られるのは二人の個人的なエピソードだけじゃない。たとえばその年に起きた事件や流行った歌が、二人のスイッチを押す瞬間の記憶と絡まりながら想起されていく。たとえば1995年の地下鉄サリン事件や2004年に米国で起きた9.11のテロ。こうした事件の衝撃が確実に二人の人生に影響を与え、スイッチにかけた指を後押しする。

 でも、一つ、この小説で語られていないことがある。それは記憶に新しいあの東日本大震災。勝手な解釈になるけれど、物語最後でスイッチを押そうとしている二人は震災に背中を押されたんじゃないだろうか。そう読むことで、この物語は、震災を3年を経てもまだ何も始めることができていない私たちに、今、新しいスイッチを強く、しっかりと押すことを教えてくれるのだ。
(2014年、実業之日本社、248ページ、難易度:1)

(執筆者:長瀬海)