注目の書評
-
嘘やごまかしに満ちた社会との戦いを描く! 世界とのズレ、というのは人を不安にする。正しいのが、自分なのか、世界の方なのか、だんだんとわからなくなってくるからだ。そして、その不安は、世界にだまされてるんじゃないかという感覚を抱かせ、次第に世界との「戦い」へと自分...
-
大人になることの事件性 もうすっかり、いや~な大人の社会に染まってしまったわたしは、子どもにたまに憧れる。世界に対してあまりに純粋で、あまりに無防備で、あまりに真っ白。新品のi Phoneのように、好きな事を好きなように記憶していくことができる。そんな世界に...
-
ゆがんだ世界の過去と未来をつなぐ物語 想像してみるといい。ある恐ろしい出来事が起こって、その町の時空間がゆがんでしまうことを。そのすさまじい出来事が、町に生きる全ての人のそれまでの幸せだった人生を一度リセットして、人々は、全く別の苦しみの物語を新しく始めなけ...
管理人
Powered by Blogger.
2015年2月14日土曜日
嘘やごまかしに満ちた社会との戦いを描く!
世界とのズレ、というのは人を不安にする。正しいのが、自分なのか、世界の方なのか、だんだんとわからなくなってくるからだ。そして、その不安は、世界にだまされてるんじゃないかという感覚を抱かせ、次第に世界との「戦い」へと自分を駆り立てる。自分と世界のズレを、どのように解消したらいいのか。自分を信じて世界と戦い続ければいいのか(これを抵抗と呼ぶ)。それともいっそのこと世界の側に取り込まれてズレをなかったものとすべきなのか(これを同調と呼ぶ)。世界のなかで生きるとは、こうした二者択一を迫られることなのだ。
吉村萬壱の『ボラード病』は、まさにこの世界と私のズレを主眼に置き、嘘やごまかしに満ちた社会との戦いを描いた傑作中編だ。
物語は小学5年生の少女、「私」の視点で進んで行く。「私」は同じ市内にある古い農家へと母とともに引っ越してきた。「私」は学校のクラスでは少し浮いた存在だ。休み時間もひとりで過ごし、友達と呼べるような人は、同じ貧乏家庭で育った浩子と、文房具屋の息子の健のみ。母は昼夜ラブホテルの掃除係として働き、その間にあたらしく内職の仕事も始めた。父親は、いつのまにか、「私」の前から消えてしまった。
「私」にはこの海塚という街への強烈な違和感がある。それは、ことあるごとに市民同士の「つながり」や「結び合い」を過剰に求めてくること。学校では一体感をあらわにした奇妙な歌を歌わされること。そして、次々と周りの人々が死んで行くこと。さらに、そのことじたいを海塚の市民たちがなんの不思議もなくあたかも当然のごとく受け入れていること。こうした空間の気味悪さに抗うために、「私」は例えば、秘密の日記を書く、海塚市の特産品である魚を食べない、みんなと歌を歌わないといった行動をとり、自分を守る。
理解してくれる人が身近にいてくれたら、「私」は少しでも楽になれるのかもしれない。だが、唯一の身寄りである母親を含めた大人たちは、何かを隠している。「私」のことを監視するように眼を光らせる隣人。至る所に現れる背広を着た男たち。消えて行く人々。こうして物語は、同調圧力(=周りの意見や行動に従わなきゃいけないと思わせること)に満ちた世界と、それについて行けず取り残される「私」、そして「私」の知り得ない何かを知りつつもひた隠しにする大人、という構図を取り始めるのだ。
しかし、作品の途中、読者はこの物語が、小学5年生の少女の視点で語られる、純粋な世界への疑い、といった単純なものではないことに気づく。「私はノートを書いています。書きながら、思い出しています。(中略)しかしもう随分昔のことなので、スラスラとは書けません。」という語り手の独白によって、この物語じたいが、大人になった「私」のある種の告発であることに気づかされるのだ。
小学5年生の「私」のストーリーはこの後、母親が病に倒れてから、変調をきたす。世界と「私」の戦いは、これまでの抵抗の物語から、同調、つまり、世界の側に取り込まれ、ズレそのものがなかったことにする圧力に屈する物語へと移行するのだ。しかし、それは、世界への違和感を確かなものとして信じてきた少女のむなしい敗北なのだろうか。全ては小説のラスト8ページで明らかになる。
ボラードとは、船をつなぎ止める杭(くい)のことをいう。ここには二つの意味がある。ひとつは、決して倒れない人と人をつなぐキズナの支柱のこと。もうひとつは、捏造(ねつぞう)された偽物の世界を根っこで支えている「真実」のこと。すなわち、ボラード病とは、過剰なまでに人と人のつながりを求めてしまう病のことであり、また、真実を隠しながらも、その真実に寄り添うような形ででっち上げられた仮想現実で生きねばならない私たちの状態のことだ。
大人の社会は何かとすぐに都合の悪い事を隠そうとする。それはあの東日本大震災以後、特にそうだ。真実が隠された偽物の世界のなかで、私たちは生きている。そして、SNSなどが発達した現在、誰かとつながってないと生きていけない気がしている人も多い。この小説はそんな世の中を告発し、そのありかたをもう一度、疑ってみることを私たちに教えてくれるのだ。
(2014年、文藝春秋、165ページ、難易度:2)
大人の社会は何かとすぐに都合の悪い事を隠そうとする。それはあの東日本大震災以後、特にそうだ。真実が隠された偽物の世界のなかで、私たちは生きている。そして、SNSなどが発達した現在、誰かとつながってないと生きていけない気がしている人も多い。この小説はそんな世の中を告発し、そのありかたをもう一度、疑ってみることを私たちに教えてくれるのだ。
(2014年、文藝春秋、165ページ、難易度:2)